安全なチャットってなんだろう?
こんにちは、ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
何を書こうかと考えているあいだに、夜風がすっかりぬるくなっていました。ついこの前まで寒いと感じていたのに…最近は本当に夏が長いですね。
さて、みなさんはチャットに参加するとき、「自分以外のユーザー」に対してどんなイメージを抱いて参加しているのだろう?と、最近よく気になっています。姿形も属性も、どこでどんな生活をしているかもわからない「相手」のことを、具体的に想像してみたりすることはあるのでしょうか。
最近のチャットでやむを得ず削除した投稿ややりとりを、改めて振り返ってみたのですが…
・その場にいる(かもしれない)誰かへの非難や差別になっているもの
・その場にいる(かもしれない)誰かを、何らかの属性や役割の型に押し込んでしまったり、評価的な表現が使われているもの
・それらが「私はこう思う」という文脈では(ほとんど)なくなっており、全体に対しての発言になっているとき
はどうしても消さざるを得ない場合が多いなあと感じました。
投稿をしたユーザーさん本人の視点で考えれば、これまでの生活や人生経験に基づく価値観であったり、今置かれている立場からの考えだったりするのは重々承知の上です。悪意は特にないことが多いと思います。また、ふだん何気なく使っている表現がよくよく考えてみると評価的だった…ということには、中々気づきづらい部分もあると思います。
ただ、そこにいる(かもしれない)誰かが嫌な気持ちになってしまったら、その人にとってチャットが安全な場所ではなくなってしまいます。チャットの安全性は、単にわかりやすく場が荒れたり不安になるかどうかだけで決まるのではなく、
「社会の中で私たちが日々向けられる差別や偏見・評価的なまなざし」に晒されなくてよい場所である、というのも重要な要素だと思っています。
チャットにいる時間はできるかぎり気軽に、思うことをしゃべってもらえたらいいなと思っています。一方でチャットは「言葉」しか情報がない場なので、文字通り・言葉通り伝わってしまいます。悪意がなくても、直接的でなくても。暗黙のメッセージや間接的な評価のようなものって、考えてみれば私たちが社会の中で晒され傷ついてきたものと近しいのではないでしょうか。個人的に、ぷらっとチャットは出来る限りそういうものから距離を置いた場所でありたいなあと思っています。
こう書いてみると、はっきりとは言語化しきれない基準に基づいて削除判断をしているように見えるのかもしれませんね…。お部屋番もそれぞれのバックグラウンドがある人間であり、同時にその場(ルーム)の流れなども加味すると、必ずしも一律の判断ができるわけではないのが正直なところです(明確にこのワードはダメ、というものは実際とても限られています)。
でも私はそれでいい、そのほうがいいのかもと思っているところがあります。なぜかというと、お部屋番が対応に悩むとき、それはお部屋番自身も1ユーザーの目線でものを考えているときであり、社会に対して自分が抱えているモヤモヤに気づく瞬間でもあるからです。
みなさんが何かを思い、チャットでそれを発するとき、その先にはなにがあるのか(社会なのか、特定の誰かなのか、自分なのか…)、そして言葉によるコミュニケーションのなかで「これってどう見えるのかな?」という視点を忘れずに持ち寄れたらと思いながら、日々チャットを見守っています。