お部屋番(管理人)もただの人です
ごきげんよう、ぷらっとチャットのお部屋番(管理人)の1人です。
最近、何度か行った管理人ヒアリングルームの内容を見せてもらいました(私はヒアリングした管理人ではないのです)。運営を気遣うような書き込みも多数あり、素直に嬉しい気持ちになりました。また、率直な意見を伝えてくださる方もおり、大変参考になりました。
あらためて、ありがとうございました。
さて、普段はやりとりには参加しない私たちは、フラットな視点を意識しつつも、時にありふれたことを思いながら各ルームを見守っています。そう思うと、入室時に使っている「管理人」という名前は、私がしていることに対してやや堅い名前なのかも?私の感覚ではやっぱり「お部屋番」とか、「見守り手」みたいな認識で取り組んでいるような気がします。
お部屋番は機械やAIなどではなく生身の人間たちが担当しているので笑、もちろんいろいろなことを感じつつ、お部屋番をしています。個人的には、あまりお部屋番が謎めいていると、人によっては怖いと感じる場合もあるのではないかと心配になったり…。
というわけで今回のブログでは、お部屋番のうちの1人がぷらっとチャット中にどんなことを思っているのかをお伝えしてみようかなと思います。
ぷらっとチャットが始まる直前:私の場合は、緊張とワクワクが入り混じっているのか、わかりやすくソワソワしている気がします。始まる直前になって、お手洗い行っとこうかなとか、飲み物用意しといた方がいいかなとか、慌てて準備をしたりしています(こうやって書いてみると、映画を見る直前の人の行動みたいですね)。
始まってすぐ:大抵はどのルームも自然に書き込みが始まっていくので、ユーザーのみなさんが持っている「場を作っていく意識」みたいなものが形になっていく時間のような気がして、個人的に好きな時間だったりします。最近はそれぞれの挨拶に対してリアクションが多数つくこともあり、みなさん機能を使いこなしているなぁと勝手に感心しています。あとは、みなさんの会話でひそかに季節の流れを感じたり、お腹が空いたりするのも、個人的あるあるです。
中盤から終了にかけて:お部屋番は、場合によっては注意喚起を行なったり、投稿の削除をしたりすることもあります。あくまでルールとマナーに沿って、みなさんがより安心して過ごせることを意識して対応をしています。ユーザーさんを咎めるのではなく、あくまでも公共の居場所の安全安心を保持しようするものです。お部屋番としては、注意喚起をした方が削除の意図が伝わっていいのかなとか、逆に注意喚起しない方が自然なやり取りの中で気づくこともあるのかなとか、いろいろ考えつつ対応を模索しています。
…というようなことを思いながら、日々お部屋番をさせてもらっています。
とにかく、お部屋番たちもただの人間だということが今回一番伝えたかったことでした。
今回は私の感じていることを書きましたが、ぷらっとチャットをいろいろな人が集まれて、安心して話すことのできる居場所にしたいという想いは、お部屋番たちの共通認識だと思います。
それでは今回はこのへんで。ありがとうございました!
”居心地”について考える
みなさんこんにちは。ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
私がブログを書くのはかなり久しぶりなので、何をどう書いたらいいか…と悩みながら、自分が感じていることをどうにか言語化してみたいと思って、画面に向かっています。
今年度はチャットの開催回数が増えたので、お部屋番としてもチャットの場を見る機会が増えました。話す内容を管理するためではなく、場を最低限守るためにという気持ちで、やりとりを見守らせてもらっています。
ほぼ毎回参加しているユーザーさんもいれば、ときどき、あるいは初めてなど色んな人がいますが、皆さんがなにかしらの「居心地」をぷらっとチャットに感じているから、ユーザーさんが絶えず集まる場になっているのかなあと捉えています。
お部屋番をするときには色々なことを考えながら見守り、時には削除や注意喚起を入れていますが、私が大事にしている(と同時に毎回とても悩んでいる)ポイントはこの「居心地」にあるのかもしれないなと、今回ブログを書くにあたって考えていました。
というのも、この「居心地」は人によって違うことはもちろん、どの立場で見るか?によって全く異なり、線引きも一元化もできないものだと感じるからです。
たとえば、強い言葉で他者を形容している場面を見かけたとき、それが身内やユーザーさん自身に対してのものだと、とても迷います。悪口や差別の助長とまではいかないかもしれないけれど、この強さの言葉が流れてくるチャットって、ちょっと落ち着かないな…と私は感じます。
一方で、発しているユーザーさんの立場を考えてみると、リアルでは言いづらいこと、発散しようにもできないことだからこそ、ぷらっとチャットでは言いたい(言える場がほしい)という気持ちがあるのかもしれないなとも思います。これは、具体的な方法や死に対する強い表現についての発信が変わらずあることにも通ずる気持ちなのかもしれないと想像しています。
たとえば、ユーザーさん同士のやりとりで、コミュニケーションが噛み合わず誤解が生じてしまっているとき。あるいはとても話やノリが合って、そのぶん友達同士のような2人だけの会話が続いているとき。それぞれの醸し出す空気感は違えど、似たような「居心地」のズレが起きているんじゃないかと感じます。
前者の場合、同じルームに入っているユーザーさんにとっては多かれ少なかれ不安を感じるものや、渦中のユーザーさん自身にとっても納得のいかないように見える場面もあります。後者も、当人同士は安心して盛り上がっていてそれはそれで居心地のよさだと思いますが、見ている他のユーザーさんは話しづらい(居心地がよくない)ということもあるでしょう。まさに、ユーザーさんそれぞれにとっての「居心地」が両立しづらい、難しい場面ではないかと思います(複数ルーム設けているので移動するのも1つですが、”仕方なく出る”というのもなんだかなと思ったり…)。
みなさんの力を借りてぷらっとチャットが継続的・定期的に続いてきたぶん、いつでもだれにとっても100点満点のチャットは難しいかもしれませんが、「居心地」という考え方をユーザーさんそれぞれの中で、そして互いに対して向けることを大事にしたいなと感じます。
「ぷらっとチャット」という空間を、協力して、分け合って使っていけるよう、これからもお部屋番として考えていきたいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ヒアリングルームから感じること
みなさん、こんにちは。
ぷらっとチャットの管理人です。
8月に管理人のヒアリングルームをやって、その結果報告をしないまま、9月にも2回目を実施しました。
2回目のヒアリングで「ブログ書いてください」とユーザーさんに言われ、『お、痛いところを突かれた…』と心の中で懺悔しつつ、ブログを書いています(苦笑)。
1回目に実施してすぐに、「次はいつですか?」との反応があったり、2回目でも「楽しみにしていました」という声も複数聞かれ、何かしらの期待の大きさを感じています。
今回に、「どうして、そんなに楽しみなのですか?」とヒアリングしたところ、「管理人さんと話せるからです」とそのままの回答が多く寄せられました笑
おそらく、普段話さない存在が話をするというのがそれなりに貴重な機会であり、また、実在する生身の存在として関わることにやはり意味があるのかなと理解してました。
1回目に少し運営体制についても、話題に出したのですが、私たちは組織的にかなり弱小であり、またぷらっとチャットに来る皆さんたちとそんなに変わらなく「死にたい」とか「生きづらい」とかが身近にある人たちでやっています。
だからこそ、ユーザーさんたちの理解や協力が必要だということを伝えたのですが、その話に対して全面的に理解をしてくれ、気遣いコメントが想像以上にやってきて、嬉しくなりました。
私は個人的にいわゆる「相談」とか「支援」現場にいろいろな形で関わることがありますが、この生きづらい社会を解決する手段として、相談や支援は対処療法に過ぎないと考えています。
それよりも、小さくても弱くても一人ひとりの力を持ち寄って、自分の問題と社会の問題をつなげて考える人が増えていくことが大切だと思うのです。
だからこそ、ぷらっとチャットという機会は一人ひとりの力を持ち寄る場として貴重だと思っています。
そして、運営を担っている私たちが安全に管理するのではなく、みんなの力で安心安全を感じられるような場を作るための裏方に徹したいと思っています。
そして、より有効な裏方をするために皆さんの声を聴き、私たちの思いも少し伝えるヒアリングの機会を定期的に実施できたらと思っていました。
ただ、今回もとても人数が多く、流れについていけないわ、全然反応できないわ、嬉しい悲鳴を上げながらあっという間に1時間が経ってしまいました。
また、ぷらっとチャットが一定程度所属感のあるコミュニティになってきたこともあり、ヒアリングしている合間にユーザーさんたちの意見交換が始まっていき、カオス状態になっている時間もあり、今後の開催にはちょっとテーマを設けて意見交換するのもありか?など、あれこれ考えています。
一方で、最近、一般的には「荒らし」と呼ばれるようなふるまいをするユーザーさんも見受けられます。私たちは「荒らし」という言葉でくくって扱いたくはないので、淡々と禁止されている事項は理由や改善について伝え、理解が得られないときには発言をとにかく消させてもらうことで、公共空間が最低限保たれるようにしていきます。
そして、発言を消すことでも対応が難しい時にはちょっと外に出てもらう対応をすることもありました。他のチャットであるようなもう入れなくなるような強制退室とは異なり、一時的に外に出てもらうだけなので、また入ってきて、禁止行為が繰り返されることもあります。
ただ、そういった時にもユーザーさんたちがそれぞれに「やめてほしい」という気持ちやお願いを直接してくれたり、禁止の発言を消し続ける管理人を「頑張れ!」と応援してくれたりする姿に励まされています。
まさに、みんなで作ってきたぷらっとチャットだからこそ、皆さんのちょっとした力により、維持するための試行錯誤をしていると感じています。
人のふるまいにはそれぞれ何らかの理由や背景があると思うので、注意をしてわかってもらうこともあれば、より一層ヒートアップする場合もありますし、ちょっとした注意によってとても傷ついたり、過去の嫌な経験を思い出してしまう人もいます。
ぷらっとチャットのユーザーさんはいろいろな形で傷ついた経験がある人たちや、リアルの関係がうまくいかない人たち、メンタルの不調や精神的な疾患、発達障がいを持つ人たちもいます。また、HSPなど、繊細さや過敏さがあることを開示する場面も多く見られます。
それぞれがチャットにおいて気になること、気にすること、つらいこと、苦しいことなどあります。同じようにどういうチャットが居心地がいいのか、何を求めるのかも一人ひとり違うと思うので、みんなが満足する形での場を作るのは難しいかもしれません。
それでも、日々の様子を積み重ね、ヒアリングの機会も活用しながら、多くの人たちの居場所として機能できるよう試行錯誤を続け、皆さんの力でアップデートしていきたいと思います。
管理人のヒアリングルームをやります
みなさん、こんにちは。
ぷらっとチャットの管理人です。
気づいたら前のブログから2ヶ月もたっていました!!(びっくり!のスタンプを押したい気持ち)
何度か近況や運営側の思うところも書きたいと思いつつ、のびのびになっていたのですが、この度、管理人のヒヤリングルームをやることになったので、そのお知らせを兼ねて重い腰を上げました。
年越しチャットでお試しで実施したヒアリングルームはとても貴重な機会で、何人かのユーザーさんからも「またやってほしい」という声が届いていたこともあり、今後のぷらっとチャットの継続のためにも実施することにしました。
目的はぷらっとチャットのコンセプトへの理解を広げ、ぷらっとチャットが目指している姿をユーザーの皆さんと確認、共有するためです。
ぷらっとチャットのコンセプトは「つらい気持ちも話せる」「いろんな人がいる」「みんながつくる」の3つです。
シンプルですが実はこれが深く、そして難しい…と思っています。
そして、この3つは今の社会が抱えている課題を解決するために必要なことでもあると思っています。
だから、ぷらっとチャットは社会の縮図でもあり、これからの社会の試金石でもあると思っているのです(ちょっと大げさかもしれませんが、けっこう本気です)。
社会の縮図であるからこそ、ちょこちょことトラブルがありますが、そのトラブルをいろいろな人たちの人たちと一緒に解決していくのがぷらっとチャットの本領発揮だと思っています。
管理人という名前はついていますが、管理するのではなく皆さんの力を引き出す、場をつくる役割です。
ということで、お時間ある方は8月17日(日)の20時~管理人ルームに来てください(見ているだけでももちろんOKです)。
ぷらっとチャットらしさ
みなさん、こんにちは。
ぷらっとチャットの管理人です。
年末から月2回のペースでお部屋番で様子をお伝えしていましたが、システムのリニューアルなどいろいろとあり…この数カ月はなかなかブログの更新ができませんでした。
ルーム内でも、「最近、ブログが更新されていないね」とユーザーさんから聞くこともあり、心苦しく思うこともありましたが、ようやく新年度体制が落ち着いてきたので書いています。
この間、ぷらっとチャットでは新しい人たちが来てにぎやかになったり、繰り返し来てくれる人たちの安定の雰囲気もあり、それらをすべて含めて「ぷらっとチャットらしさ」が発揮されているのかなと感じています。
チャットが少し不穏な雰囲気になることもあり、問い合わせには何とかしてほしいという意見が来ることもありますが、私たちはユーザーさん含めてみんなの力で居場所について考え、作っていきたいと思っているので、運営側が何とかするというより、みなさんと一緒に考えていきたいと思っています。
そういう意味では、普段からちょっと微妙な雰囲気になったりしても、どことなくユーザーさんたちがそれぞれの力を出し合って、場を作ろうとしている様子がたくさん見られます。
ぷらっとチャットが目指している「みんなでつくる」という趣旨が少しずつ浸透していることを感じちょっと嬉しくなります。
そして、最近の傾向として小中学生ぐらいの年代の利用が増えています。
誰でも利用できるので、もちろん小学生も歓迎なのですが、使い方の留意点が年齢によっては伝わりにくく、悩ましいことがあります。
例えば、これまでもたびたび話題にしている「特定の人と仲良くなるところではありません」という注意点や「個人情報の扱いについて」などは低年齢のユーザーさんにとっては理解が難しそうだなぁと感じています。
仲良しになり嬉しくなる気持ちも分かるのですが、仲良しだけの雰囲気はやはり見ていて、他の人たちが居づらくなってしまうと感じます。
かといって、それをいちいち注意するというのも本意ではなく、いつも見守りながら悩ましく思っているのでした。
そんなことも、ユーザーさんたちが率直に声を掛け合ったり、気づきを促したりなど、ちょっとずつ知恵や力を出し合ってもらえたらと思っています。
ちょっと気になることも書きましたが、いろいろなこともありながらも、ぷらっとチャットはここまでよく続いているなぁと思っています。
それはもちろん、利用する皆さんたちの心がけや思いがあるからです。
ぷらっとチャットでみんなが大切にしていることを今の社会でも同じように大切にしていけたら、もう少し生きやすい社会になるはずと思っています。
支え合うむずかしさを思う
みなさん、こんにちは。
ぷらっとチャットお部屋番のひとりです。
2月も終わりを迎えますね。
私の感覚では年が明けたと思ったらもう3月という感じで・・・時間の経つ早さに驚いている今日この頃です。みなさんはいかがでしょうか。
ちょっと強引な話の持っていき方ではありますが、「時間が早い」と言えば、ぷらっとチャットではよく「もう終わりか」「あっという間だ」などという声が聞かれるように思います。
そう感じる理由は様々だと思いますが、「楽しかった」とか「居心地がよかった」とか、そうしたときに時間の早さを感じることもあるのかなと思っています。
また「次はいつ?」といった声を見ると、人によってはここがもはやインフラ(生活に欠かせないもの)となりつつあるのかも…と感じることもあります。
いずれにしても、みなさんにとって安心できる場になっているのであれば、運営のひとりとしてはホッとするばかりですが、その一方で、私はそれだけリアルの世界がしんどいということでもあるかな…などと考えてしまうので、もどかしい気持ちになることもあります。
人は誰もが生きていくために、一時的でも避難所や安全基地を必要とするものだと私は思っています。
ぷらっとチャットがそうした場となり、エネルギーをチャージできるなら何よりだと思いますが、インフラと書いたように、いつの間にか“ここがすべて”となってしまうこともあるのかなという懸念が私にはあります。“ここがすべて”となると(そう思うこと自体は問題ないと思いますが)エネルギーをチャージしなければならない場となってしまい、誰かと過度に苦しみを比較してしまったり、誰かに近づきたい気持ちが強くなりすぎたり、誰かの悩みを解決してあげようと思いすぎてしまったり、、そうしたことが生まれやすくなるのかと思うのです。そうすると時に苦しい場となってしまう可能性があると考えています。
ぷらっとチャットに限らず、そもそもネット上でのやり取り、特にテキストでのやり取りは、感情や意図がリアルの世界よりもわかりにくいため、コミュニケーションがずれたり、衝突してしまったりすることが起こりやすい空間かと私は思っています。
テキストとして形に残り、公的に見える仕様上、何気ない言葉が思っている以上に深く影響してしまうこともあるかもしれません。
私としては、誰かに自分の気持ちを話すことのむずかしさを含めて、この場はそうしたむずかしさをはらんだ場であると思うので、むずかしい中で、少しでも安全に過ごせる場となったら…と、願いに近い感覚でいつも眺めています。
ほどよくぷらっとチャットを利用していただき、みなさんが支え合ったり、何かに気づき合えたりする空間となったらいいなと思います。
年度末の時期は疲れが出ることもあれば、季節の変わり目でもありますので、どうかみなさんご自愛ください。
「距離感」を考えてみた
みなさん、こんにちは。2月ブログのお当番が回ってきた、ぷらっとチャットお部屋番のひとりです。
一年で最も寒いといわれる大寒を過ぎて、2月3日は立春でした。心なしか春の気配が近づいてきたような、まだまだ遠いような・・
最近知ったのですが、大寒と立春の間を「冬の土用(どよう)」といい、季節の変わり目に向けて体調を整える期間にあたるそうです。
木の芽時はなにかと不安定になりやすい時期でもあるので、きたる春に備えて身体をいたわりたいと思う今日この頃です。
小話もほどほどに、私がお部屋番としてチャットに参加する中で感じたこと、考えたことを書いてみようかなと思います。
みなさんの何気ない話にほっと癒されたり、自分も助けられたような気持ちになったり、苦しい胸の内に思わず共感してしまったり…その場に居合わせることで私自身もさまざまな思いが巡るのですが、参加者同士の距離の近さに少しドキッとする瞬間があります。
開催の回数を重ねていく中で、よく見かける人に声をかけたり、関係性ができていくことはある意味では自然なことなのかもしれません。
一方で「いろいろな人たちにとっての安全な場」ということを考えてみると、良かれと思っていた距離の近さが実は他の誰かの心理的安全を揺らがせたり、自分たちは楽しい内輪感が逆に誰かのプレッシャーになっていないだろうか…とも感じています。(わが身も振り返りつつ、改めて気づくことですね)
身体的・物理的な距離感は目に見えて分かりやすいですが、心の距離感は、実は把握するのが難しいのかもしれません。
例えば、自分がしてもらって嬉しいことと、相手がしてもらって嬉しいことは必ずしもイコールではないことなどが挙げられます。
チャットを訪れる人の中には、誰かに自分のバウンダリー(=自分と相手の境界線)を侵害された経験からNOを表現することが苦手だったり、内輪感を見ることでつらい思い出の再体験をしてしまう人がいるかもしれません。
前回のブログでは、画面の向こう側にいる人を想像してみることの大切さについて触れられていましたが、お互いのほどよい距離感についても、想像力は大事だなと感じています。
つらつらと最近の思ったことを綴りましたが、今後もみなさんと一緒に試行錯誤しながら、チャットの運営について考えていけたら嬉しいです。
もうしばらく寒さの厳しい日々が続きそうですが、お身体ご自愛下さい。ブログを読んで下さってありがとうございます。
「画面の向こうにいる人」を想像する
みなさんこんにちは。ぷらっとチャットのお部屋番の1人です。
ブログを書くのは初めてなので、とても緊張しています…。
内容としてはあくまで私の主観であり、お部屋番全員がそう思っているとは限らないのですが、私がチャットを見ていて感じることを書かせてもらえたらと思います。
現在のぷらっとチャットは基本的に1日おき、ないし3日に1回くらいのペースで開催しています。
私は結構な頻度でチャットを覗かせてもらっているのですが、見るたびに雰囲気や流れが違うなあと感じます。居る人が変われば雰囲気も変わる、というのはその通りなのですが、逆に言うとよく顔を合わせていそうな人が集まっていたとしても、終始ゆったりと時間が流れる日と、コミュニケーションの齟齬やズレが起きてちょっぴりドキドキする日があったりします。
どちらが正解ということはないですし、なにより、ユーザーさんは特に気になっていないのかも…?と思いつつ、お部屋番としてはつい、このチャットを安全に守りたい気持ちが先立ちます。時にはメッセージの削除や、注意喚起に踏み切ることもあります。でもそれをする時・した後も、なんだかモヤモヤぐるぐる、「これでよかったかな…」と迷い続けることも多いです。ルールとマナーで示している内容に沿った判断だとしても、自信をもって(?)判断できることのほうが少ないです。
どうしてこんなに迷うのだろう?と考えてみると、それはきっと、いろんな種類・いろんな立場への想像力をフル動員しているからかな…と思います。
(削除するものに限らずですが)「この発言を読んだ人はどう感じるだろうか…」という受け取り手への想像、「もし〇〇な背景を持った人が読んでいたら…」というもしもの想像、そしてメッセージを投稿した人のコンディションや意図、「それを言わずにはいられない気持ち」等々…まで想像していくと、どんどん判断は複雑になっていきます。その場で全て発動できないことも当然あります…。
ただ、言い方を変えれば、「普段は言いづらい(ともすれば批判されてしまうかもしれない)、言える場がないようなこと」ことを場としてタブー視しないからこそ、明確なNGの線引きはできないと言えます。そしてNGがはっきりしていないからこそ、ユーザーさん同士、そしてチームお部屋番、チャットに関わる1人1人が、チャットにいる「誰か」への想像力をなくさないことが大切なのかな、と私は思っています。誰にもはっきり線を引けないからこそ難しい、けれど線を引かない分、社会の空気や人間関係、「常識」みたいなものに縛られず、みんなで1回1回ほどよい塩梅を探っていけるようなイメージです。
チャットは公共の場なので、「なんでも全部OK!」とはいきませんが、社会の中で不当に抑制される声を発することができたり、白黒つけずに分かち合えたり、ネガティブな感情もひっくるめて「自分」として話せたり…それぞれがそれぞれのまま過ごしながらの「公共」を、ユーザーさんたちと一緒に作っていけたらいいなあと感じています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
試行錯誤を続けながら
皆さん、こんにちは。
記事を書くのは「はじめまして」の、ぷらっとチャットのお部屋番です。
ぷらっとチャットとの関わりはわりと古参(?)で、こんなシステムが欲しいと開発業者とやり取りしたり、スタンプとアイコンの作成に関わったり、そもそもチャットの名前を何にするか考えたりしてきました。
「ぷらっとチャット」という名前にたどり着くまでも、結構悩んだよなあ…と思い返すと、今ぷらっとチャットというものがすっかり馴染んだ存在としてあることに、時の経過を感じているところです。
また、最初の頃は運営に悩んで、何度か休止期間を設けることもしていたので、今は安定した開催を続けていられることにも、ちょっと感慨深くなりました。
さて、このブログでは何を書いたらいいのだろう…とぐるぐる、実は去年の10月くらいにも一度記事を書こうとしていたのですが、何を書いてもなんだか「これは違うだろ…」となって、諦めたことがあります。
当時書いたのは、ざっくり言うと「参加するときには、こういう部分を心がけてくれたらもっといいな」ということだったのですが、「いやいや…自分は参加する側ではなく、運営をする立場からで、何を言っても偉そうじゃね?」と思い、放り投げました。
今考えてみると、前に書いて消したブログは、私のぷらっとチャットへの思い入れがあふれてしまったのかもしれません。だからこそ安定した運営をしたい!という気持ちが強くなり、その気持ちが前のめりになったのかもしれないとふと気づきました。(今回のブログも、書き出しから自分の関わり歴を説明してしまうあたり、同じような心境なのかもしれません)
私自身はチャットをすることは全くないのですが、SNSなどネットのコンテンツはそれなりに見るタイプです。そして、どこを見ても、殺伐とした空気はどうしてもあって、それが当たり前だとも感じてきました。
そことぷらっとチャットを比べたときに、ぷらっとチャットは断トツで優しい場所だと私は感じています。心に余裕のないだろう人が多く集まっていて、苦しい出来事や感情が話されていても、どうしてこうあれるのか・・・それは、皆さん一人ひとりが、他の人のことに想像を巡らせる、ちょっとずつの心がけや努力をしてくれているからなのかなと私は考えています。
でも、そのちょっとずつの力が合わさることで成り立っている空間は、逆にちょっとのことで崩れうる危うさがあることは、運営して体感してきました。
(どのようなことがリスクにつながるかは、前のブログで管理人が書いてくれたので省きます)
私から一つ強調して伝えたいのは、ぷらっとチャットが安心できる居場所であり続けるのは、運営の力だけではできないということです。
ルールを作ったり投稿を削除したり、運営にしか出来ないこともあるし、やれることについては最善を尽くしたいとは思っています(出来ているかは自信がないですが…)。
でも、禁止や指示の力には限界があるし、そういった強権や排除で物事を解決するという在り方が、そもそもこの生きづらい世の中を生み出しているわけだし・・・と私は思います。また、参加しづらいような「いつもの空気」が強まったと感じても、発言をいちいち消したり、注意して解決できる問題でもないと思います。
だから対処法として、前に管理人も書いていた通り物理的な工夫(一回1時間、毎日はやらない)をしています。
前書いていないものとしては、そのルームが合わないなと思ったときに他のルームに移る選択肢がとれるように、ルームを複数設けているのも大きなポイントです。
あと何かいい工夫はできないだろうか・・・と知恵を絞っているところなのですが、2月から一つ、新しい工夫をしてみようと決めました。
それは、ルーム名を数字から、数字じゃないものに変えてみることです。
今はルーム1・2・3・4となっていますが、例えばルームぞう・きりん・ライオン・パンダなど、日替わりで名前をつけてみたいと思います。他に浮かんでいるルーム名としては、「あんこ・みたらし・ごま・きなこ」とか、「ラーメン・うどん・そば・パスタ」とか、「しゃけ・おかか・たらこ・うめ」とか・・・。(運営が食いしん坊なのがバレてしまう…苦笑)
名前はただの数字の代わりなので、きりん好きが集まる部屋だとか、ラーメン派が集まる部屋というわけではないので、そこは誤解しないでください。でも自分だったら、つい好みの名前の部屋に入ってしまいそうです。
ということで、2月からバラエティ豊かなルーム名がつく予定なので、よろしくお願いします。
年越しチャット報告
皆さん、こんにちは。
ぷらっとチャットの管理人です。
最近、お部屋番の人たちでブログを月2回は書こうと決めて、頑張っていますが、年越しに特別企画のチャットをやったので、その報告をしようと思います。
普段のぷらっとチャットはお昼~遅くても夜22時までの開催のことがほとんどですが、年越しということで、大晦日の23時半から元旦の0時30分の時間でやってみることになりました。
ただし、この時間帯の実施には一つ大きな問題点が…苦笑
ぷらっとチャットは仕様上、日にちをまたいでルームの設定ができないことから、23時半から23時59分までと、0時から0時30分までの部屋を設定するしかなく、年越しの1分前にいったんお開きになって、1分後に入りなおす…というスタイルとなりました。
加えて、フリーチャットだけではなく、テーマを設けたルーム(食べ物について話そう)と、管理人も会話に加わるユーザーさんからヒアリングする特別な部屋も設けました。
このように普段といろいろ違うことにチャレンジしたのですが、ふたを開けてみるとなんと!フリールームになぜかユーザーさんが入れないトラブルが起きて、急遽、ルーム設定を新しくし直す波乱含みのスタートになり、運営側はものすごくバタバタ&はらはらな大晦日になりました。
ただ、そこを無事に乗り越えてからはあっという間の30分×2回で、皆さんと一緒に年を越すことができました。皆さんの協力のおかげです。ありがとうございました。
私は、管理人も参加する部屋で皆さんに質問をして、ぷらっとチャットの利用について教えてもらったのですが、とても有意義でたくさんの興味深い意見や声を聞くことができました。
特に「ぷらっとチャットの魅力」という質問については、実にたくさんの人たちからそれぞれの表現で回答が得られました。ほかに似たような目的で使うアプリやコンテンツなどについても、聞いてみたのですが、「ほかにはない」と答える人も複数いて、ぷらっとチャットだからこその魅力が発揮されていると実感することができました。
私たちとしては、ぷらっとチャットの魅力として
①死にたい気持ちを含めて、リアルな場所では気軽に言いづらいことでも自分の感じていることを素直に伝えることができる
②ある程度、安全や安心が確保される(攻撃されたり、一方的に批判されたり、決めつけられたりしない、お互いに受容するマインドがある)
③誰がやってきても、必要以上に疎外感を感じない
④何を話もいいし、話さないで見ているだけだけもいいし、自分のタイミングやペースでも参加できる
⑤つらい気持ちをそれぞれ抱える人同士がピアで話せる
このあたりを大切にしています。
特に難しいけれど大切にしたいのが①⑤で、苦しさやつらさがわかる者同士が素直な気持ちを出し合い、分かち合えることです。
これは、当事者だからこその魅力であり、最大のメリットでもあるのですが、逆にしんどさを抱えた人たちだからこそ、それ以外の②③④を保つことが難しくなるリスクも抱えているといえます。
つらい経験の蓄積やメンタルの不安定が、知らないうちに他者への批判や攻撃的なやりとりに発展することもあれば、自分が意識しなくても、他の人に不快感やダメージを与える発言をしてしまうこともあります。
また、何度も参加する人たちはお互いに気心が知れていき、再び会えた喜びも感じるようになりますが、特定の人たちだけで話したり、いつも参加していることが当然の会話が展開される雰囲気が当たり前になると、初めて来た人にとっては疎外感につながります。
過剰に気遣いをする必要はないのですが、繰り返し開催していくと、知らないうちにそうした「いつもの空気」が強くなることを感じています。
「いつもの空気」はいつも来ている人には安心につながるのですが、初めて来る人にとっては、自分は場違いかも…などと感じる「発言しづらい空気」になるのです…難しいですね。
そんなことで、私たちはそうならないための有効な策として「1回1時間」「毎日はやらない」という物理的な工夫をしています。
毎日やってほしい、もっと時間を増やしてほしいという声があるのは重々承知なのですが、現状でも「いつもの空気」が悪い方に傾くことがあるため、慎重に進めているところです。
今回、チャットの継続のために自分たちにできることがあるのなら協力したいです!という声も多かったことから、少し説明をさせてもらいました。
「いつもの空気」が安心側に傾くためには参加者の皆さんの力がとても大切です。
これからも、時々、運営について意見を出し合うチャットをやるのもありかなと思いつつ、皆さんと知恵と力を持ち寄りながらチャットを続けていきたいと思っています。