夏休みに思う「メタ認知」
こんにちは、ぷらっとチャットの管理人です。久しぶりにブログを書いています。
夏休みに入り、ぷらっとチャットにも休み中の子どもたちがたくさん参加しているようです。
子どもたちが参加してくれるのはありがたいことではありますが、ぷらっとチャットはどちらかというと死にたいほどつらい気持ちを抱えた人たち(主には大人)を想定していることから、子どもたちが来るとチャットルームの雰囲気がいつもとはずいぶんと変わってしまうことがあります。
このぷらっとチャットのサイトに書いている内容も大人向けに書かれていることが多く、子どもには読んでも理解することが難しいだろうなぁと感じることがあります。
そこにはメタ認知という機能が関係しているように思います。メタ認知とは自分を客観的にみて、周囲からどう見えるのか、どんな影響を与えているのかを見極める力と言えます。
子どもは発達途上にあるため、このメタ認知が育っていない場合も多く、自分の考えや思いで突っ走ってしまうことがあります。
例えば、死にたいと吐露する人に「そんなこと言わないで」と言ってしまったり、安易に自分の感覚や経験でアドバイスをしてしまったり、つまり相手の立場を想像して、ふるまいや発言を調整するというところまで育っていない傾向があります。
冷静に考えると、「自分は子どもで経験が少ないからこの場は少し遠慮して発言しよう…」などと子どもが考えるわけないですし、そんな子どもは子どもじゃない!と思ってしまいますね。
また、ASDなどの発達特性を持つ人たちもメタ認知が育つのが遅い人たちもいて、いわゆる「空気が読めない」と言われてしまうことがあります。もちろん、個人差もありますので、一概には言えません。
一方で、ぷらっとチャットは過剰適応と言われるように、周囲の思惑や気持ちを読みすぎたり、自分を出さないように抑えている人たちも一定数いると感じています。つまり、注意深く空気を読み、緊張や不安をため込んでいる人と言っていいのかもしれません。
過剰適応で我慢をしてきた人たちはメタ認知が拙いコミュニケーションに触れると、非常にネガティブな気持ちになってしまうこともあると思います。何とか気づいてほしくて遠回しに何かを伝えようとしたり、ちょっとイラっとした返答をしたりすることもあるかもしれません。
しかし、メタ認知途上の人は遠回しの表現をうまく理解することが難しいことから、多くの場合はそうしたアクションは徒労に終わり、さらに消耗するということもあるように思います。
そんな時に効果的なのはフィードバックという伝え方です。
フィードバックは自分の目に映ったことや感じたことを、良いとか悪いとかの評価をしないで、そのままを相手に伝えることです。
私は○○だと感じました。とシンプルに評価や感情を交えずに客観的に伝える。
ぷらっとチャットには「苦手かも」というスタンプがありますが、あのスタンプもフィードバックのためのツールとも言えます。(今考えると、「苦手かも」より「苦手です」の方がよかったような気がしています)
メタ認知が発展途上の人は機能的に困難であり、そもそも苦手なのです。周囲からはわかりにくいかと思いますが、自分では気づかないことも多いので、わかるように丁寧に「それは嫌だな」とか「こうだと嬉しい」とか「○○をお願いします」という具合に明確に伝えることがとても大切だと思っています。
子どもたちも特性のある人たちも周囲の人との関わりで丁寧なフィードバックを受けて、成長する可能性があるのですが、多くの場合は批判されたり、怒られたり、遠回しに言われたりとちゃんと教えてもらうことができません。学ぶチャンスがないと、いつまでもメタ認知が育たない、あるいはオリジナルな認知を強化してしまうこともあります。
そうはいっても、フィードバックは簡単ではなく、特にしんどい思いを抱えている人たちが、誰かの成長を願って客観的に伝えるなんてできない…と思ってしまうのも無理はないと思います。
そして、もう一つの難しさはチャットは文字だけで姿が見えないという点があると思います。ビジュアル的に子どもがいて、子どもっぽいことを言っている姿があると、大らかに捉えられることも、チャットという相手の姿が見えないと大らかに思えないということもあるかもしれません。
ただ、お互いの姿が見えないから気楽に話せるという良さもありますし、何事も一長一短ではあり、みんなにとって万能な居場所を作ることはとてつもなく難しいと思うのでした。
それにしても、子どもたちがぷらっとチャットに何を求めているのかな?とちょっと気になります。
参加する子どもの皆さん、もしこれを読んでいたら、ぷらっとチャットは安心してネガティブな気持ちを話せるところなので、アドバイスや意見は控えめにして、人間観察をするぐらいの気持ちで参加してみてください。
子どもたちを含めて、いろんな人がいろんな話ができる場として試行錯誤は続きます。
安全なチャットってなんだろう?
こんにちは、ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
何を書こうかと考えているあいだに、夜風がすっかりぬるくなっていました。ついこの前まで寒いと感じていたのに…最近は本当に夏が長いですね。
さて、みなさんはチャットに参加するとき、「自分以外のユーザー」に対してどんなイメージを抱いて参加しているのだろう?と、最近よく気になっています。姿形も属性も、どこでどんな生活をしているかもわからない「相手」のことを、具体的に想像してみたりすることはあるのでしょうか。
最近のチャットでやむを得ず削除した投稿ややりとりを、改めて振り返ってみたのですが…
・その場にいる(かもしれない)誰かへの非難や差別になっているもの
・その場にいる(かもしれない)誰かを、何らかの属性や役割の型に押し込んでしまったり、評価的な表現が使われているもの
・それらが「私はこう思う」という文脈では(ほとんど)なくなっており、全体に対しての発言になっているとき
はどうしても消さざるを得ない場合が多いなあと感じました。
投稿をしたユーザーさん本人の視点で考えれば、これまでの生活や人生経験に基づく価値観であったり、今置かれている立場からの考えだったりするのは重々承知の上です。悪意は特にないことが多いと思います。また、ふだん何気なく使っている表現がよくよく考えてみると評価的だった…ということには、中々気づきづらい部分もあると思います。
ただ、そこにいる(かもしれない)誰かが嫌な気持ちになってしまったら、その人にとってチャットが安全な場所ではなくなってしまいます。チャットの安全性は、単にわかりやすく場が荒れたり不安になるかどうかだけで決まるのではなく、
「社会の中で私たちが日々向けられる差別や偏見・評価的なまなざし」に晒されなくてよい場所である、というのも重要な要素だと思っています。
チャットにいる時間はできるかぎり気軽に、思うことをしゃべってもらえたらいいなと思っています。一方でチャットは「言葉」しか情報がない場なので、文字通り・言葉通り伝わってしまいます。悪意がなくても、直接的でなくても。暗黙のメッセージや間接的な評価のようなものって、考えてみれば私たちが社会の中で晒され傷ついてきたものと近しいのではないでしょうか。個人的に、ぷらっとチャットは出来る限りそういうものから距離を置いた場所でありたいなあと思っています。
こう書いてみると、はっきりとは言語化しきれない基準に基づいて削除判断をしているように見えるのかもしれませんね…。お部屋番もそれぞれのバックグラウンドがある人間であり、同時にその場(ルーム)の流れなども加味すると、必ずしも一律の判断ができるわけではないのが正直なところです(明確にこのワードはダメ、というものは実際とても限られています)。
でも私はそれでいい、そのほうがいいのかもと思っているところがあります。なぜかというと、お部屋番が対応に悩むとき、それはお部屋番自身も1ユーザーの目線でものを考えているときであり、社会に対して自分が抱えているモヤモヤに気づく瞬間でもあるからです。
みなさんが何かを思い、チャットでそれを発するとき、その先にはなにがあるのか(社会なのか、特定の誰かなのか、自分なのか…)、そして言葉によるコミュニケーションのなかで「これってどう見えるのかな?」という視点を忘れずに持ち寄れたらと思いながら、日々チャットを見守っています。
ちょっとの想像力
みなさん、こんにちは。お部屋番を担当しているスタッフのひとりです。
前回のブログからしばらく時間が空いてしまいました。遅ればせながら、今年度もどうぞよろしくお願いします。
季節の変わり目で、なにかと調子を崩しやすい時期ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
すでにご存じの方も多いかもしれませんが、ぷらっとチャットは、匿名で、つらい気持ちを含めたさまざまな話題について話せる場所です。
日常の中で生まれるさまざまな思い、ちょっと誰かに聞いてほしいことなどを、ほどよい距離感でお互いに話せることは、今までもこれからも、大切な時間だと思っています。
管理人も、みなさんと一緒に安心安全な場をつくっていきたいと思いながら、毎回参加しています。
そんな中で、自分や誰かのことを語ろうとする際に、感情とともに言葉も強くなってしまい、特定の相手への誹謗中傷のように見えてしまう発言を見かけることがあります。
そこには、受けた傷の深さや、言いたいことがあっても相手に伝えられなかった苦しい経験が垣間見えるように思います。
管理人は、削除するかしないか判断に迷うことがありますが、この場所のルールを踏まえつつも、発言する人がずっと抱えてきた悲しみや悔しさが伝わってくることへの葛藤があるのかもしれません。
「自分はとてもつらかった」「どうしてこんな思いをしなければならないのか」「分かってほしい」といった思いが、いつの間にかかたちを変え、相手の属性や気質を主語にした鋭い言葉へと変わっていっていることがあるように感じています。
また、いつの間にか主語が大きくなってしまうことで、「◯◯な人はみんな◯◯だから」と、対象範囲が拡大した悪口へ発展していってしまうやりとりも時折見かけます。
その瞬間、チャットルームは誰もが安心して気持ちを表現できる場所から、誰かを傷つけてしまうかもしれない場所へと変わってしまうかもしれません。
自分の思いや考えを誰かに伝えたい、聞いてほしいと考えることは、ごく自然なことですが、その思いが強くなりそうなとき、どう表現するかは少しだけ工夫が必要なのかもしれません。
言い方によって、知らない内に誰かを傷つけてしまうことも、ただ共有するだけのこともできるのかなと思っています。
誰がどんな経験を有しているか、社会の中でどういった立場に置かれているか、チャットのやりとりだけでは見えにくいからこそ、批判や審判をしてしまいそうになる前に、ちょっとの想像力を働かせてみることが大切なのかなと考えました。
引き続き、みなさんと一緒に試行錯誤しながら、ぷらっとチャットのあり方について考えていけたらいいなと思っています。
内心思うことと誰かに伝えること
こんにちは。こんばんは。ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
気づいたらあっという間に3月ですね。なんなら、3月も半分が終わりました。この時期は、卒業や入学、引っ越し、異動など変化の多い時期だなぁ、と思っています。ぷらっとチャットを利用しているみなさんの中にはそうした不安や大変さを抱えている人もいるのではないかな?とぼんやり考えていました。
前回のブログのお部屋番が書いた内容と重なるかもしれませんが、「内心で思うこと」と「それを誰かに伝えること」についてお部屋番は考えたりしています。
私たちは感情があり、人によって好き嫌いもあるので、「嫌だな」「苦手だな」と思うのはとっても当たり前のことだと思っています。そして、内心でどう思うかはいつだって自由です。
ただ、それを誰かに伝える、となると「なんでもOK」とはならないのかな?と思っています。特にぷらっとチャットは公共の場(誰でも利用できる場所)です。匿名で誰でも利用できることはぷらっとチャットの魅力だと私は思っています。ただ、逆に言うと本当にいろんな人が利用する可能性があるということでもあります。
チャットで相手の表情、事情、声のトーンがみえないからこそ言いやすい可能性があると同時に、他の人がその発言をみてどう感じているか、も分かりづらくなります。
「暗がりの体育館にみんなで集まっている」と例えると…
暗くても周りに人がいるのは感じるけれど、顔はよく見えない。だからこそ、普段なかなか言えないことも話せる。でも、暗いからこそ隣りにいる人に不意にぶつかってしまう可能性がある。
ぷらっとチャットはそんな場所なのかな?とお部屋番は感じています。
とはいっても、それに気をつけすぎると、何も言えなくなってしまったり、発言のたびに不安になってしまったり…ということもあるかもしれないので、匙加減が難しいところではあるのですが…。(お部屋番も意図せず誰かを傷つけてしまったことは絶対にあるので、自戒も込めて)
相談機関の利用や、知人と2人だけで話すなど、特定の相手と閉ざされた空間で話すのであれば、今書いたような心配はほとんどないと思っています。
(書きながら、こういうことって学校だったり、大人になっていくなかで教えてもらう機会がないような?と思ってきました。)
これからも、みなさんとぷらっとチャットを作っていきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。
お部屋番の考える、「伝え方」と「伝わり方」
こんにちは、ぷらっとチャットのお部屋番です。
みなさんはどのようなぷらっとチャットライフを送っていますでしょうか。
お部屋番の私は、ぷらっとチャット開催中はすべてのお部屋をできる範囲で見守っております。お部屋番も人間なので、あたふたして追いきれないこともありますけどね。
そんな見守りライフのなかで、ユーザーのみなさんの発言が思わぬ方向に伝わり、誤解やコミュニケーションのすれ違いが生じているかもしれないと感じることがちらほらあります。
それもコミュニケーションとして自然なことだとは思いますが、お部屋番としてはもどかしさを感じることがあるのも正直なところです。
それに、ユーザーさんの意図が伝えたかったとおりに伝われば、ぷらっとチャットがよりみなさんの安心できる場所になるのかなとも思います。
そこで今回は、ある伝え方がどのような伝わり方をするのかということについて、私なりに感じたことをまとめたいと思います。
すれ違い注意ポイント①
【主語が大きい・主語が抜けている発言】
ある属性全体を主語にするような発言を見ると、私は主語が大きい発言だと感じてしまいます。(例:「子どもってみんな〇〇だよね」「日本人は〇〇なところがある」など)
話の流れでつい主語が大きくなることもあると思いますが、主語が大きくなることで、本来話に含めるつもりのなかった人のことまで巻き込んでしまう可能性や、偏見を助長する可能性があるので、ご注意ください。
もし言い換えるならば…
「親って〇〇だから困る」⇒「私の親が〇〇で困ってる」
みたいに、主語を絞って伝えてみると、チャットに参加している「親」という立場にある人を巻き込まずに、自分の困り感も伝わりやすいと思います。
主語が大きいと、いろいろな立場の人が読むことを考えて、削除しなくてはいけないことがどうしても出てきます。お部屋番としても、つらい気持ちは伝わってきている分、削除するのは心苦しく思うので、表現を少し意識してもらえると助かります。
また、主語が抜けてしまうことで、話が思わぬ方向に進んでいそうなこともちらほらあるので、発言する際には主語を意識しておくのはおすすめです。
すれ違い注意ポイント②
【質問をすること】
ぷらっとチャットは誰でも参加できる場であり、いろいろな人が集まります。そのため、参加している人のことが気になって、質問をしたくなることもあるかもしれません。
質問をすること自体はOKですが、書き方によっては「答えなくちゃいけないのかな」と相手が居心地の悪さを感じる場合もあると私は思っています。
質問をする際には…
その前後に「答えられる人だけで大丈夫です」「もしよければ教えて」など、質問に答えるかは自由であることを一言添えてみるのがおすすめです。こうすることで、質問に答えたくない人も、負担なく参加できると私は思います。
あとは、どうして質問したくなったのかの理由も伝えると、安心して会話に参加しやすい場合もあるのかなと思いました。
すれ違い注意ポイント③
【自分や自分の身近な人に対しての強い表現】
他のユーザーさんに対しては、差別的な言葉や強い表現を使わないようにみなさん配慮していると思います。
だけど自分や自分の身近な人に対しては、容赦なくそういう言葉を使ってしまうこともあるかもしれません。言ってしまいたくなる気持ちは否定しませんが、他の人が読んだときに言葉がグサッと刺さってしまうことがあります。
強い思いを吐き出したいときは…
投稿する前に、差別的な言葉や強い表現になっていないか、一度確認しておきましょう。
差別用語はどんなときでも削除対象ですが、強い表現については「~と私は思ってしまう」などと添えれば刺さりづらいものになり、削除にならない場合もあります。(繰り返しますが、なるべく削除はしたくないと思っています)
死にたい気持ち、不満などを吐き出すこと自体はOKですので、用いる言葉がどのような伝わり方をするのかについて、今一度振り返っていただけたらと思います。
以上が、私が見守る中で感じたことです。
書いてみて改めて、伝えるって難しいな、受け手がどう思うかって本当にさまざまだなとしみじみ感じています。私の書いたこともあくまで一例ですし、ユーザーさんの目線だからこそ気付ける誤解やコミュニケーションのすれ違いもあるんじゃないかと思います。
この機会に改めて「伝え方」と「伝わり方」をちょっと考えてみてもらえたらと思いましたし、お部屋番もこれからも考え続けたいと思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました~
一緒に迷い、立ち止まりながらつくる
こんにちは、こんばんは。チャットのお部屋番です。
遅ればせながら、今年初めてのブログ更新となりました。これを書いている今は全国的な大寒波の真っ只中です。個人的には身体のこわばりと共にメンタルも落ち込んでしまい、低空飛行ぎみな今日この頃です。
2025年はチャットの開催回数も増え、私自身、チャットを見守る機会が多かったなあと振り返っています。一方で、前回報告した「利用状況アンケート」の結果を見ると、ユーザーさんもまた、ぷらっとチャットに対して様々な思いやまなざしをもって参加してくれていることがわかりました。
チャット上では私たちのアイコンには「管理人」という名前が付き、何かあったときにだけ発言(注意喚起や時間のお知らせなど)をするので、どうしても「見られている」感があるかもしれませんが、ユーザーさんたちの思いが知れたことで、「互いにチャットという”場”を見合って守ろうとしている」感じがして頼もしい気持ちになりました。
ぷらっとチャットは匿名の場で、誰が、いつ、どんなふうに過ごすかを制限していません。だからこそ、多少なりとも制限する(注意喚起や削除などに踏み切る)ときはすごく悩みます。そんなときは「この発言(やりとり)を見た人は、ぷらっとチャットに対してどう感じるだろう?」「誰かの居心地が悪くならないだろうか?」ということを考えています。
注意喚起を入れるとしても、その行動や気持ちを否定するというよりは、「客観的にはこう見えているけど、どんな感じですか?」とそっと互いの様子を確認し合うような気持ちでいます。その「確認」は、お部屋番とユーザーさんだけでなく、ユーザーさん自身が自分をふと省みたり、他のユーザーさんの様子を気にかけてみることでもあると思っています。
ぷらっとチャットには「つらい気持ちも話せる」という大切なテーマがあります。
それぞれが持つ辛さ、しんどさ、親しみをあらわす表現に対して、正解・不正解はないと思いますし、「その言葉でしか言い表せない気持ち」も存在すると思います。周りの様子を気にする余裕なんてないよ、という時もあると思います(お部屋番も人なので、日々揺らぎ迷いながら見ています)。
ただそれで誰かの居心地が悪くなってしまうと、その誰かにとっては「つらい気持ちも話せる」場ではなくなってしまうのかな…と思っていて、それは「みんなの居場所」とは違うような気がするのです。こう書くと曖昧でモヤモヤする人もいるかもしれませんが、一概に言えないからこそ「ぷらっとチャット」なのかな、とも思っています。
お部屋番もユーザーさんも変わりなく、お互いの表情や存在を意識し合えるような関係性をコツコツと築いていけたらうれしいです。
自分を見つめるまなざし
みなさんこんにちは。お部屋番を担当しているスタッフのひとりです。
気づけば年の瀬が近づいて、街も人も、なんだか慌ただしい雰囲気になってきたように感じます。
今年も年越しチャットが開催されますが、皆さんと一緒に、穏やかに新年を迎えられるといいなと思っています。
ぷらっとチャットは、日々こつこつと開催を続けていく中で、たくさんの人が訪れてくれる場所になりました。
ルームの様子を見ていると、一つのコミュニティとしての側面もありながら、「社会と個人の内面が交差する狭間の空間」のように思えることがあります。
日常の生活では言えないこと、どこにも吐き出せる場所がないこと、深い孤独の中で誰かと分かち合いたいこと・・皆さんが置かれている状況や立場を想像しながら、困難な社会において、死にたい気持ちも含めて率直に語れる場所の必要性を、日々考えさせられています。
一方で、管理人はときどき発言を削除したり、注意喚起を入れることがありますが、それは、この場所が社会から分断されたごく私的な場所ではなく、社会と地続きの場所であるということをふまえての対応でもあります。
自分の表現や発信、あるいは存在そのものを抑圧されてきた経験をもつ人にとって、自分の言葉で自分の気持ちや考えていることを話せる時間は、とても大切なことだと思います。
その傍で、自分が言いたいこと、ときには熱量を持って伝えたいと思うことを、相手がどう受けとるか、周囲からどんな風に見えているのか・・そのバランスの取り方は、私自身も含め難しいところだなと感じています。
自分の普通や当たり前、「相手も助かるはず」と考えるコミュニケーションを、周囲はもしかしたらドキドキしながら見ているかもしれないと、「客体としての自分」を見つめるまなざしもまた必要であることを考えたりします。
つらつらと思ったことを書きましたが、ぷらっとチャットが、これからもみんなにとって安心して過ごせる場所であってほしいなと思います。
日増しに寒さが厳しくなりますが、身体をあたたかくしてお過ごしください。
ブログを読んでくれてありがとうございます。
正解がない難しさ
こんにちは。お部屋番の1人です。
およそ1年ぶりにブログ当番がやってきて、ちょっと緊張?しながらパソコンに向かっています。
私は最近、「正解」について時折考えています。日頃の自分の行動が「これでよかったのか?」「なにか間違っていないか?」とよく不安になるからです。なぜ自分がそう思うのかを考えると
・間違うことに対する恐怖(社会がミスを許してくれ無さそうという気持ち?)
・できるだけベストを尽くしたい気持ち(自分にある真面目さ?)
があるような気がします。
ただ、正解があることの方が少ないので、考えても答えは出ず、不安はなかなか消えてくれません。そのため、定期的に不安を抱え続けることに疲れて嫌になります。(考え疲れた時には編み物をして思考を止めたり…)
ぷらっとチャットに関しての正解も考えるのですが、「どんな場所だったら正解なのか?」と思うと答えが出ません。ただ、「誰にとっても不満の全くない場所」であることは正解ではないような気がしています。
いろんな意見、感じ方があるので、違いによって合わない場合や、時に嫌な思いをすることがあるのは自然だと思うからです。人がいることで嫌な思いをしたり、でも助けられることもあったり、それはすごく人間らしい営みのような気もしています。
ただ、削除対応のように見過ごせない時があるのも事実です。でも、そのラインはきれいな直線で線引きできるものではないのだとも思います。削除後に消さなかった方がよかったかなと思うこともあれば、悩んで削除しなかった時に削除した方がよかったかなと思うこともあります。
ルールも含め、明確な線引きがあれば迷わなくて済んで、楽になれるような気もしますが、そうなったときにはぷらっとチャットが今と違う場になってしまうような気もしていているのです。だからこそ、こうやって迷い、考え続けることに意味があるのかな?そうだといいなぁ…と自分に言い聞かせています。
まとまりも、伝えたいこともぼんやりしてしまった気もしますが、ぷらっとチャットの正解は今の私にはわからないけれど、考え続けていたいなと思っています。
お部屋番(管理人)もただの人です
ごきげんよう、ぷらっとチャットのお部屋番(管理人)の1人です。
最近、何度か行った管理人ヒアリングルームの内容を見せてもらいました(私はヒアリングした管理人ではないのです)。運営を気遣うような書き込みも多数あり、素直に嬉しい気持ちになりました。また、率直な意見を伝えてくださる方もおり、大変参考になりました。
あらためて、ありがとうございました。
さて、普段はやりとりには参加しない私たちは、フラットな視点を意識しつつも、時にありふれたことを思いながら各ルームを見守っています。そう思うと、入室時に使っている「管理人」という名前は、私がしていることに対してやや堅い名前なのかも?私の感覚ではやっぱり「お部屋番」とか、「見守り手」みたいな認識で取り組んでいるような気がします。
お部屋番は機械やAIなどではなく生身の人間たちが担当しているので笑、もちろんいろいろなことを感じつつ、お部屋番をしています。個人的には、あまりお部屋番が謎めいていると、人によっては怖いと感じる場合もあるのではないかと心配になったり…。
というわけで今回のブログでは、お部屋番のうちの1人がぷらっとチャット中にどんなことを思っているのかをお伝えしてみようかなと思います。
ぷらっとチャットが始まる直前:私の場合は、緊張とワクワクが入り混じっているのか、わかりやすくソワソワしている気がします。始まる直前になって、お手洗い行っとこうかなとか、飲み物用意しといた方がいいかなとか、慌てて準備をしたりしています(こうやって書いてみると、映画を見る直前の人の行動みたいですね)。
始まってすぐ:大抵はどのルームも自然に書き込みが始まっていくので、ユーザーのみなさんが持っている「場を作っていく意識」みたいなものが形になっていく時間のような気がして、個人的に好きな時間だったりします。最近はそれぞれの挨拶に対してリアクションが多数つくこともあり、みなさん機能を使いこなしているなぁと勝手に感心しています。あとは、みなさんの会話でひそかに季節の流れを感じたり、お腹が空いたりするのも、個人的あるあるです。
中盤から終了にかけて:お部屋番は、場合によっては注意喚起を行なったり、投稿の削除をしたりすることもあります。あくまでルールとマナーに沿って、みなさんがより安心して過ごせることを意識して対応をしています。ユーザーさんを咎めるのではなく、あくまでも公共の居場所の安全安心を保持しようするものです。お部屋番としては、注意喚起をした方が削除の意図が伝わっていいのかなとか、逆に注意喚起しない方が自然なやり取りの中で気づくこともあるのかなとか、いろいろ考えつつ対応を模索しています。
…というようなことを思いながら、日々お部屋番をさせてもらっています。
とにかく、お部屋番たちもただの人間だということが今回一番伝えたかったことでした。
今回は私の感じていることを書きましたが、ぷらっとチャットをいろいろな人が集まれて、安心して話すことのできる居場所にしたいという想いは、お部屋番たちの共通認識だと思います。
それでは今回はこのへんで。ありがとうございました!
”居心地”について考える
みなさんこんにちは。ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
私がブログを書くのはかなり久しぶりなので、何をどう書いたらいいか…と悩みながら、自分が感じていることをどうにか言語化してみたいと思って、画面に向かっています。
今年度はチャットの開催回数が増えたので、お部屋番としてもチャットの場を見る機会が増えました。話す内容を管理するためではなく、場を最低限守るためにという気持ちで、やりとりを見守らせてもらっています。
ほぼ毎回参加しているユーザーさんもいれば、ときどき、あるいは初めてなど色んな人がいますが、皆さんがなにかしらの「居心地」をぷらっとチャットに感じているから、ユーザーさんが絶えず集まる場になっているのかなあと捉えています。
お部屋番をするときには色々なことを考えながら見守り、時には削除や注意喚起を入れていますが、私が大事にしている(と同時に毎回とても悩んでいる)ポイントはこの「居心地」にあるのかもしれないなと、今回ブログを書くにあたって考えていました。
というのも、この「居心地」は人によって違うことはもちろん、どの立場で見るか?によって全く異なり、線引きも一元化もできないものだと感じるからです。
たとえば、強い言葉で他者を形容している場面を見かけたとき、それが身内やユーザーさん自身に対してのものだと、とても迷います。悪口や差別の助長とまではいかないかもしれないけれど、この強さの言葉が流れてくるチャットって、ちょっと落ち着かないな…と私は感じます。
一方で、発しているユーザーさんの立場を考えてみると、リアルでは言いづらいこと、発散しようにもできないことだからこそ、ぷらっとチャットでは言いたい(言える場がほしい)という気持ちがあるのかもしれないなとも思います。これは、具体的な方法や死に対する強い表現についての発信が変わらずあることにも通ずる気持ちなのかもしれないと想像しています。
たとえば、ユーザーさん同士のやりとりで、コミュニケーションが噛み合わず誤解が生じてしまっているとき。あるいはとても話やノリが合って、そのぶん友達同士のような2人だけの会話が続いているとき。それぞれの醸し出す空気感は違えど、似たような「居心地」のズレが起きているんじゃないかと感じます。
前者の場合、同じルームに入っているユーザーさんにとっては多かれ少なかれ不安を感じるものや、渦中のユーザーさん自身にとっても納得のいかないように見える場面もあります。後者も、当人同士は安心して盛り上がっていてそれはそれで居心地のよさだと思いますが、見ている他のユーザーさんは話しづらい(居心地がよくない)ということもあるでしょう。まさに、ユーザーさんそれぞれにとっての「居心地」が両立しづらい、難しい場面ではないかと思います(複数ルーム設けているので移動するのも1つですが、”仕方なく出る”というのもなんだかなと思ったり…)。
みなさんの力を借りてぷらっとチャットが継続的・定期的に続いてきたぶん、いつでもだれにとっても100点満点のチャットは難しいかもしれませんが、「居心地」という考え方をユーザーさんそれぞれの中で、そして互いに対して向けることを大事にしたいなと感じます。
「ぷらっとチャット」という空間を、協力して、分け合って使っていけるよう、これからもお部屋番として考えていきたいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。