「画面の向こうにいる人」を想像する
みなさんこんにちは。ぷらっとチャットのお部屋番の1人です。
ブログを書くのは初めてなので、とても緊張しています…。
内容としてはあくまで私の主観であり、お部屋番全員がそう思っているとは限らないのですが、私がチャットを見ていて感じることを書かせてもらえたらと思います。
現在のぷらっとチャットは基本的に1日おき、ないし3日に1回くらいのペースで開催しています。
私は結構な頻度でチャットを覗かせてもらっているのですが、見るたびに雰囲気や流れが違うなあと感じます。居る人が変われば雰囲気も変わる、というのはその通りなのですが、逆に言うとよく顔を合わせていそうな人が集まっていたとしても、終始ゆったりと時間が流れる日と、コミュニケーションの齟齬やズレが起きてちょっぴりドキドキする日があったりします。
どちらが正解ということはないですし、なにより、ユーザーさんは特に気になっていないのかも…?と思いつつ、お部屋番としてはつい、このチャットを安全に守りたい気持ちが先立ちます。時にはメッセージの削除や、注意喚起に踏み切ることもあります。でもそれをする時・した後も、なんだかモヤモヤぐるぐる、「これでよかったかな…」と迷い続けることも多いです。ルールとマナーで示している内容に沿った判断だとしても、自信をもって(?)判断できることのほうが少ないです。
どうしてこんなに迷うのだろう?と考えてみると、それはきっと、いろんな種類・いろんな立場への想像力をフル動員しているからかな…と思います。
(削除するものに限らずですが)「この発言を読んだ人はどう感じるだろうか…」という受け取り手への想像、「もし〇〇な背景を持った人が読んでいたら…」というもしもの想像、そしてメッセージを投稿した人のコンディションや意図、「それを言わずにはいられない気持ち」等々…まで想像していくと、どんどん判断は複雑になっていきます。その場で全て発動できないことも当然あります…。
ただ、言い方を変えれば、「普段は言いづらい(ともすれば批判されてしまうかもしれない)、言える場がないようなこと」ことを場としてタブー視しないからこそ、明確なNGの線引きはできないと言えます。そしてNGがはっきりしていないからこそ、ユーザーさん同士、そしてチームお部屋番、チャットに関わる1人1人が、チャットにいる「誰か」への想像力をなくさないことが大切なのかな、と私は思っています。誰にもはっきり線を引けないからこそ難しい、けれど線を引かない分、社会の空気や人間関係、「常識」みたいなものに縛られず、みんなで1回1回ほどよい塩梅を探っていけるようなイメージです。
チャットは公共の場なので、「なんでも全部OK!」とはいきませんが、社会の中で不当に抑制される声を発することができたり、白黒つけずに分かち合えたり、ネガティブな感情もひっくるめて「自分」として話せたり…それぞれがそれぞれのまま過ごしながらの「公共」を、ユーザーさんたちと一緒に作っていけたらいいなあと感じています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。