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「距離感」を考えてみた

みなさん、こんにちは。2月ブログのお当番が回ってきた、ぷらっとチャットお部屋番のひとりです。

一年で最も寒いといわれる大寒を過ぎて、2月3日は立春でした。心なしか春の気配が近づいてきたような、まだまだ遠いような・・
最近知ったのですが、大寒と立春の間を「冬の土用(どよう)」といい、季節の変わり目に向けて体調を整える期間にあたるそうです。
木の芽時はなにかと不安定になりやすい時期でもあるので、きたる春に備えて身体をいたわりたいと思う今日この頃です。

小話もほどほどに、私がお部屋番としてチャットに参加する中で感じたこと、考えたことを書いてみようかなと思います。

みなさんの何気ない話にほっと癒されたり、自分も助けられたような気持ちになったり、苦しい胸の内に思わず共感してしまったり…その場に居合わせることで私自身もさまざまな思いが巡るのですが、参加者同士の距離の近さに少しドキッとする瞬間があります。
開催の回数を重ねていく中で、よく見かける人に声をかけたり、関係性ができていくことはある意味では自然なことなのかもしれません。
一方で「いろいろな人たちにとっての安全な場」ということを考えてみると、良かれと思っていた距離の近さが実は他の誰かの心理的安全を揺らがせたり、自分たちは楽しい内輪感が逆に誰かのプレッシャーになっていないだろうか…とも感じています。(わが身も振り返りつつ、改めて気づくことですね)

身体的・物理的な距離感は目に見えて分かりやすいですが、心の距離感は、実は把握するのが難しいのかもしれません。
例えば、自分がしてもらって嬉しいことと、相手がしてもらって嬉しいことは必ずしもイコールではないことなどが挙げられます。
チャットを訪れる人の中には、誰かに自分のバウンダリー(=自分と相手の境界線)を侵害された経験からNOを表現することが苦手だったり、内輪感を見ることでつらい思い出の再体験をしてしまう人がいるかもしれません。

前回のブログでは、画面の向こう側にいる人を想像してみることの大切さについて触れられていましたが、お互いのほどよい距離感についても、想像力は大事だなと感じています。

つらつらと最近の思ったことを綴りましたが、今後もみなさんと一緒に試行錯誤しながら、チャットの運営について考えていけたら嬉しいです。
もうしばらく寒さの厳しい日々が続きそうですが、お身体ご自愛下さい。ブログを読んで下さってありがとうございます。

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