TOP

”居心地”について考える

みなさんこんにちは。ぷらっとチャットのお部屋番のひとりです。
私がブログを書くのはかなり久しぶりなので、何をどう書いたらいいか…と悩みながら、自分が感じていることをどうにか言語化してみたいと思って、画面に向かっています。

今年度はチャットの開催回数が増えたので、お部屋番としてもチャットの場を見る機会が増えました。話す内容を管理するためではなく、場を最低限守るためにという気持ちで、やりとりを見守らせてもらっています。
ほぼ毎回参加しているユーザーさんもいれば、ときどき、あるいは初めてなど色んな人がいますが、皆さんがなにかしらの「居心地」をぷらっとチャットに感じているから、ユーザーさんが絶えず集まる場になっているのかなあと捉えています。

お部屋番をするときには色々なことを考えながら見守り、時には削除や注意喚起を入れていますが、私が大事にしている(と同時に毎回とても悩んでいる)ポイントはこの「居心地」にあるのかもしれないなと、今回ブログを書くにあたって考えていました。
というのも、この「居心地」は人によって違うことはもちろん、どの立場で見るか?によって全く異なり、線引きも一元化もできないものだと感じるからです。

たとえば、強い言葉で他者を形容している場面を見かけたとき、それが身内やユーザーさん自身に対してのものだと、とても迷います。悪口や差別の助長とまではいかないかもしれないけれど、この強さの言葉が流れてくるチャットって、ちょっと落ち着かないな…と私は感じます。
一方で、発しているユーザーさんの立場を考えてみると、リアルでは言いづらいこと、発散しようにもできないことだからこそ、ぷらっとチャットでは言いたい(言える場がほしい)という気持ちがあるのかもしれないなとも思います。これは、具体的な方法や死に対する強い表現についての発信が変わらずあることにも通ずる気持ちなのかもしれないと想像しています。

たとえば、ユーザーさん同士のやりとりで、コミュニケーションが噛み合わず誤解が生じてしまっているとき。あるいはとても話やノリが合って、そのぶん友達同士のような2人だけの会話が続いているとき。それぞれの醸し出す空気感は違えど、似たような「居心地」のズレが起きているんじゃないかと感じます。
前者の場合、同じルームに入っているユーザーさんにとっては多かれ少なかれ不安を感じるものや、渦中のユーザーさん自身にとっても納得のいかないように見える場面もあります。後者も、当人同士は安心して盛り上がっていてそれはそれで居心地のよさだと思いますが、見ている他のユーザーさんは話しづらい(居心地がよくない)ということもあるでしょう。まさに、ユーザーさんそれぞれにとっての「居心地」が両立しづらい、難しい場面ではないかと思います(複数ルーム設けているので移動するのも1つですが、”仕方なく出る”というのもなんだかなと思ったり…)。

みなさんの力を借りてぷらっとチャットが継続的・定期的に続いてきたぶん、いつでもだれにとっても100点満点のチャットは難しいかもしれませんが、「居心地」という考え方をユーザーさんそれぞれの中で、そして互いに対して向けることを大事にしたいなと感じます。
「ぷらっとチャット」という空間を、協力して、分け合って使っていけるよう、これからもお部屋番として考えていきたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

前の画面へ戻る